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特別寄稿 久元祐子のコラム

会員番号 K271(名誉会員) 久元 祐子が会報にて連載している「モーツァルト一考」。

久元祐子

クリスマスの協演

クリスマスが近づくと、1781年12月24日の、モォツァルトとクレメンティとの協演を思い起こします。この日、皇帝ヨーゼフ2世は、シェーンブルン宮殿の一室で二人の音楽家を引き合わせました。
モォツァルトはこのとき初めてクレメンティの演奏を聴いてすっかりうんざりし、クレメンティのことを悪し様に罵った--にもかかわらず、モォツァルトはクレメンティが弾いたソナタの一節を、後年「魔笛」の序曲に引用した。一方のクレメンティは晩年のインタビューで、当時の自分の未熟を改めて恥じ、モォツァルトの優雅な演奏を賞賛した--このようなエピソードが広く紹介されてきましたが、これではまるで、モォツァルトが鼻持ちならない人間で、クレメンティの方が謙虚さを備えていたようにも聞こえ、モォツァルトの人柄を貶めてしまいそうです。
むしろ興味が募るのは、表面的なエピソードではなく、このときどのような音楽が奏でられたかと言うことでしょう。ロシア大公妃はパイジェルロのソナタのスコアを与えたと伝えられますが、このパイジェルロのソナタがどんな曲であったかも関心が募ります。パイジェルロはその後ウィーンを訪れ、モォツァルトは、彼のテーマをもとにピアノのための変奏曲を書いていますが、このパイジェルロという作曲家、数少ないピアノ協奏曲のCDを聴いてみると、なかなか達者な音楽家だったように思えるからです。
二人はそれぞれこのソナタの中の主題を展開して弾いたそうですが、さぞかし目の覚めるような演奏だったことでしょう。その場で弾かれるままに消えてしまった当時の「即興音楽」とはどのようなものだったかも面白いテーマです。
それにしても、この協演の時、クレメンティが弾いた、今日「魔笛ソナタ」と呼ばれているソナタは、やはり、モォツァルトのソナタには遠く及ばない作品だといってさしつかえないでしょう。わずかながらCDも出ていますが、私のホームページにも入れておきましたので、一度お聴きいただければ幸いです。