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会報より

ザルツブルグ音楽祭の魔笛 会員番号 K332 片岡 元

モォツアルトのことは最近国内外で新たな資料・楽譜などがぞくぞくと整備されているようで、私の知識ではまともに論ずることは不可能(どうせオーストリアやドイツなんかでどんどん研究が更新されているのだろうと思ってしまう)。そこで実体験としてのモォツアルト。それも「ザルツブルグ音楽祭の魔笛」。

一言で言うとテレビで「ザルツブルグ音楽祭の魔笛」をみて、その後に実際の会場であるザルツブルグの岸壁の野外劇場フェルゼンライトシューレに行ったことである。しかしこれってテレビで歌舞伎を見てあとで歌舞伎座を外から眺めたのとおんなじ状況なのかも。

私がじっくりとみたのは1982年のザルツブルグ音楽祭の放送(NHKの一般放送、のちにBSで鮮明に再放送された!)であった。
当時ハイファイビデオを持っていなかったため音質は悪く、画像も鮮明さにかけるものであった。しかし字幕スーパーのおかげで意味もわかるし、舞台効果の粋も味わえる。
結局野球や外国の演劇と同じでテレビ画像の方が人の動きも細部までわかるのでこの画質の悪さは補ってあまりあった。ましてリプレイができる!

この野外劇場には、幸い5年前に訪れることができた。
ツアーの途中、ザルツブルグに一日観光の機会があったので、まようことなくモォツアルトの生家と当野外劇場へと赴いたのである。
当時は、路上でウインナーなんかかじりながら、劇場の地下通路をさまよい歩いてここを主役が通ったのかはたまた着飾った観客が歩いたのか等ととりとめない空想にひたったりしていた。

さて、その初めてテレビで見たザルツブルグ音楽祭のダイナミックな演出はしばらく自分をとりこにした。しょっぱな蛇がタミーノを襲うのだがその蛇がとてつもなく大きな怪蛇。胴体が3階の回廊にまで及び舞台すべてを使っているのだ。おそらく魔笛史上最大の蛇ではないかと思われる。
このように後世の演出家の想像力をも喚起する古典としての内包力は本当にすごい。
登場人物もよく、タミーノは誠実感あふれ、試練にまっすぐにむかう無垢の固まりみたいであり、パパゲーノは野人の雰囲気、舞台で飲み食いしながらよくむせずにアリアが歌えるものだと思う。
パミーナはやや年嵩がいってしまった感じだが、口を利かないタミーノに訴えるアリアは胸にせまるものがある。モノスタトスは残忍さを持ち合わせた道化役がはまりきっているし極めつけはなんといっても油ののりきった夜の女王のグルベローヴァ。
喜劇と良識と悲恋と魔術的な要素がごちゃ混ぜのこの歌芝居は何度みても、どこからみても面白い。
そして音楽に限らないが、西洋の古典に接する度に当時の人々の文化的な水準の高さに驚かされる。
シカネーダーのこの台本が当時の流行を表しているとすれば、この精神的な寓意や象徴のテーマのとりかたは、よく言われるフリーメーソンの広まりから影響をうけたのは当然としても、他国より文化面政治面ともに遅れていたためにさかんになったとされるドイツ、オーストリア一連の啓蒙運動のひとつとしてとらえられるかもしれない。
今後時間と資料があれば個人的には日本に紹介されることのないドイツやオーストリアの思想家、啓蒙運動家が説き著したものや、小さな劇場で人気を博しては消えていった芝居や歌劇などを発掘して、この時代の民衆の音楽や芝居の楽しみ方などを調べてみたい気がする。

ともあれ、日本においても企業の不手際、不祥事があいつぎ、一般的に偉い人みたいに思われていたひとが実はそうでもなかったみたいなところがある昨今、この歌芝居の音楽的な美しさと高度に技巧的なスリルに味付けされた高邁なテーマは決してとらえどころのない昔話ではないように感じられる。

しかし、当時血気盛んであったジェームズ・レバインはいまはいずこに?