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会報より

娘の病気とモーツァルト 会員番号 K201 柴田清一

 小学校3年生の娘が、療養のため養護学校付き施設で暮らすことになった。
昨日と同じような何事もない今日が巡ってくることを願いつつも前触れもなく不運はやってくる。完治することがわかっていても、今普通に歩ける娘がこの先3年の車いす生活を強いられることは大変に辛い。「5年生の秋頃まで戻ってくるよって挨拶したら、明日、お別れ会をやってくれるって。」強気なそぶりの中にも動揺は隠せない。親が学校に出向き教室から全ての教材を引き上げる。親と離れた共同生活はどうなる。あれこれ不安が駆けめぐる。やりきれない思いの日々が続いた。

 ここ数日、仕事の合間に、モーツァルトを集中的に聴いている。モーツァルトの音楽は、あらゆるストレスに対する万能薬である。副作用もない。興奮作用、鎮静作用等、単一効能の名曲はたくさんあるが、モーツァルト特有の優しさと輝きは、他に求められないものである。癒しの中に希望が見付かる。
娘の闘病生活が、「忍耐強さ、自立心、弱者への思いやり」という長所となれば幸い。人の禍福・運不運は予測できないもの、塞翁失馬。

 このように発想の転換ができたのは、娘の前向きな姿勢と日々モーツァルトからのココロの滋養をもらった恩恵である。まだポケモンに夢中の娘であるが、追い追いモーツァルトを聴かせてみようと思う。最初のCDは、教会ソナタ全集ヴィンシャーマン指揮コルゼンパ(OR)と決めている。