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会報より

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番・・・・・会員番号 K203 松田至弘

数年前に、オーストリアのザルツブルクを訪れたことがある。そのとき、ゲトライデ通りの繁華街にあるモーツァルトの生家を見学し、そこで音楽CDを数枚買った。
そのCDが目に入ったとき、一瞬、珍しいなと思った。おもしろい形をした、しゃれたタイプのCDであった。
CDの表面には、ヨハン・ネポムック・デラ・クローチェ作の「モーツァルトの家族の肖像」から抜き出したモーツァルト本人の肖像やサインが印刷されていた。そして、CDのケースには、楽符と「家族の肖像」の写真が使用されていた。
CDに収められていた曲の方はと言えば、ピアノ協奏曲が三曲で、それも有名な楽章のみであった。しかし、そのことは、私にとってどうでもよいことであった。私は珍しいCDであることと、「ピアノ協奏曲第21番」(第2楽章アンダンテ)が最初に入っていたので、気に入ったのである。だから、記念にそしてみやげ物に、それを買うことにした。「ピアノ協奏曲第21番」にこだわったのには、実は次のような理由があった。
振り返ってみると、モーツァルトの音楽とのつきあいは、若いころブルーノ・ワルター指揮の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のレコードを手に入れて聴いたときに始まるが、しょっちゅう聴くようになったのは、五年ほど前からである。
そのきっかけとなったのが、原因不明のひどい耳鳴りであった。大病院の医師から「あなたの耳鳴りは直りませんよ」と診断され、毎日もんもんとして不安の日々を過ごしていたが、そこで、常時聴くようになったのが、モーツァルトの音楽であった。
これは別に、「モーツァルト音楽療法」と称する理論などの影響を受けたからではない。自然にそうなったのである。聴いていて、モーツァルトの曲は、どれも人の心を落ち込ませないという特徴を持っていることに気がついた。たとえ曲が悲しみを帯びていても、じっと耳を傾けていると、気分を上向きにさせてくれるように感じられた。とりわけ、「ピアノ協奏曲第21番」第2楽章の長調の伸びやかで美しいメロディーは、私の不安な心を癒し、落ちつきを取り戻す一つの役割を果たしてくれた。
カール・バルトは、「モーツァルトの音楽は、全く圧迫感がなく、楽々としていて軽やかで、澄んだ音がする。それゆえに、人の重荷を軽減し、心に安らぎを与え、解放感を味わわせてくれる」と述べている。安心感が増し、不安は解消されることになった。そして、私の耳鳴りは、体調変化による一過性のものだったらしく、しばらくすると完全に直った。このように、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」は、私にとって大きな意味を持つ曲だったのである。だから、ザルツブルグのモーツァ ルトの生家で、この曲の入ったCDを記念に、そしてみやげ物として数枚買った。
みやげ物にしたのは、差し上げる人に、モーツァルトの肖像とサイン入りの珍しいCDで、美しいメロディーをぜひ聴いてみてほしかったからである