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会報より

モーツァルトの旅(4) ウィーン・・・・・会員番号 K505 日景聡子

てんやわんやで秋田を発って、感激のザルツブルク、さらに感激のリンツからドナウ河沿いに中世の面影宿す美しい街々を巡って、ついにやって参りました。ウィーンです。 栄華を極めたハプスブルクの帝都。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなど楽聖と謳われる大作曲家たちが活躍し、「美しき青きドナウ」のワルツ王、シュトラウスU世を生んだ音楽の都ウィーン。私など日本の合唱団の隅っこでボソボソ歌っているような者には畏れ多くて、語るを憚るというものです。(私が所属している合唱団カンパネラ・コールは創立60年で日本では古い方ですが、ウィーン少年合唱団の歴史は500年。室町時代か!)う〜ん。しかし、黙していては始まりません。気を取り直して、ウィーンのシンボル、シュテファン寺院から見て参りましょう。
尖塔の高さ、137m。壮麗なゴシック様式の大聖堂です。街のどこからでも見えるので迷子になったら、ここを目指せば大丈夫。屋根のモザイク模様がオリエント風で印象的でした。内部は、気持ち良いほど天井が高く、見事なゴシック、バロックの装飾に彩られています。彫刻のひとつひとつがとても面白く、彫刻が好きな私は、もっと見ていたい病に陥ってしまいます。旅の間は常にこの病が悩みの種で、前回の旅では、集合時間に遅れて皆に迷惑掛けまくり、反省。今回は、いい子にして『日景、いま〜す。』 さて、モーツァルトは1782年夏、故郷ザルツブルクの父の許しが無いまま、ここでコンスタンツェと結婚式を挙げました。若い者たちは危なっかしいと思うのは、古今東西の親たちに共通した心象です。父レオポルトにしてみれば、我が息子ヴォルフガングは音楽にかけては天才。しかし、他のことでは子ども同然「10年早い!」と思ったかもしれません。けれどもヴォルフガングには10年の時間はありませんでした。妻を得た喜び、二人で家庭を築く楽しさ、時に大変さを味わいつつ演奏と作曲に邁進していきます。そして10年目の婚記念日を迎えることなく1791年12月5日未明、最後の作品となる「レクイエム」の完成をみないまま世を去ってしまいます。お葬式もシュテファンの十字架礼拝堂で執り行われましたが、埋葬についての謎は残されたままです。 聖堂のすぐ後ろ小路を入ったところに、モーツァルト一家が3年ほど住んだ家があります。この家でオペラ「フィガロの結婚」をはじめ多くの傑作が生み出されたので、フィガロハウスと呼ばれて記念館になっています。ウィーンにはこの家の他に、彼らが住んだ家がたくさんあるということです。現代でも引越が趣味という人を時折見掛けますが、引越は主婦にとって骨が折れるんですけどね。シュテファンの近くには世界的な楽譜屋さん「ドブリンガー」があって、同行のピアノの先生は今、最も注目されている新しいピアノ指導書を買うことができたと喜んでいました。 私たちは、買い物客で賑わっているおしゃれなショッピング・ロード、ケルントナー通りをあちらのお店、こちらのお店と楽しく見て歩いてその先に、あぁ、なんと麗しい「ウイーン国立歌劇場」シュターツオーパーです。パリ、ミラノのオペラ座に並ぶ権威あるオペラの殿堂、1869年のこけら落としは、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」でした。2002年からは日本が世界に誇るマエストロ、小澤征爾が音楽監督に就任しています。彼はインタビューに、オーケストラと人間の声とが織りなすオペラが無性にやりたくなったと答えました。私は「人間の声」と言っていたのを印象深く聞きました。              私たちは今宵、ここでオペラを観ます。プログラムはプッチーニの「ラ・ボエーム」です。(モーツァルトじゃないのか----加藤代表 スミマセ〜ン) おめかしの為いったんホテルに戻るにはまだ早いので、買い物に夢中のお姉様たちとは別に、私は三浦真氏(特別会員k527)のエスコートでウィーンの街をさらに探険することにします。異国の街を心強い方と歩いている自分がなんとも不思議で、こんな不思議な感じ、後にも先にも無いことでした。一方、お姉様たちは買い物を終えたところで、とんだハプニングに遭遇。それでも、転んでもただでは起きないしっかり者の彼らのこと故、辛うじてクリアー。  加藤代表の旧友、三浦さん(リンツ在住)が今回のツァーの間、広場会員の私たちを、要所要所でエスコートして下さったお陰で、旅は10倍楽しいものになりました。この紙面を借りて、お二人に、改めてお礼申し上げます。
ところで、私たちはオペラの他に、ウィーン・フィルハーモニーの本拠地「楽友協会」ムジークフェラインの世界一の音響と言われる「黄金ホール」でも演奏を聴きましたが、信じられないほど美しい音に大変感動しました。(やはりモーツァルトじゃないので、これ以上は話せない・・残念)では、モーツァルトが命を燃焼し尽くしたこのウィーンに来て、モーツァルトをひとつも聴かなかったのか? いいえ、聴きました。それは、オペラ座に近い地下鉄の階段を下りた所にあるトイレ。中に入るとアイネ・クライネがこの上もなく優雅に奏でられたのです。さすが、音楽の都! 旅の締め括りがトイレの話では、いくら何でもね・・。  文学者、稲生永氏の文章を紹介させていただいて終わります。
『〜ウィーンを訪れたならば、大聖堂、教会、宮殿〜などを歴訪したり、旧市街をくまなく散策して、古都の歴史の流れに身を委ねる。その上で、モーツァルトの懐かしい調べを、心の奥底で、時に優しく、時に高らかに奏でてみると、人それぞれのモーツァルトのウィーンの幻が鮮やかに浮かびあがってくるにちがいない。』ウィーンのモーツァルト・    モーツァルトのウィーンより

おまけ・・ウィーンのテレホンサービス ; 1509番でチューニングの音440ヘルツ[A]  さすが、音楽の都!   日本からだと 001−010−43−1−1509