モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)
ウイーン、ザルツブルク、リンツといったオーストリアの都市は我がモーツァルトと切っても切れない縁の深い都市として有名であるが、この3つの都市が一連の串刺し状となってストーリーが展開されるという興味深い出来事がありました。
このストーリーは結婚という人生の節目を根底に孕んではいるが、言ってみればモーツァルトにおける生まれ故郷ザルツブルクと父レオポルドへの訣別の旅の物語である。
私はこの訣別の旅のシンボルとしてザルツブルクの聖ペーター教会が鎮座していると思っている。
聖ペーター教会、ザルツブルクという古い宗教都市の中でも独自な威厳と由緒ある教会、この教会こそは未完の傑作「ミサ曲 ハ短調」K427の初演のステージでした。
さて、まず下表をご覧いただきたい。「ミサ曲 ハ短調」の位置づけを示すものである。
作曲月 | 作曲地 | K番号 | 曲 名 |
1782秋〜1783春 | ウイーン | 427 | ミサ曲 ハ短調 (未完) |
以下1783年6月 | ウイーン | 421 | 弦楽四重奏曲 ニ短調 (ハイドンセット2番) |
6月〜7月 | ウイーン | 428 | 弦楽四重奏曲 変ホ長調(ハイドンセット3番) |
8月 | ザルツブルク | 423 | ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト短調 |
8月 | ザルツブルク | 424 | ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調 |
11月初旬 | リンツ | 425 | 交響曲 ハ長調 「リンツ」(第36番) |
12月末 | ウイーン | 426 | 2台のクラヴィーアのためのフーガ ハ短調 |
夏から年末 | ザルツブルク〜ウィーン | 422 | オペラブッファ「カイロの鵝鳥」 (未完) |
1.ハ短調ミサは1783年10月26日にザルツブルクの聖ペーター教会で初演・奉献されたこと。
その時、モーツァルト自身が指揮をとり、ソプラノの一部を新妻コンスタンツェが演じたこと。
付け加えれば、この初演した翌日二人はザルツブルクを離れていること。
2.K421、K428の2曲の弦楽四重奏曲はともにコンスタンツェが長男ライムントを身籠もっていた時期及び出産直後に作られたものであること。
さらに付け加えれば、ライムント・モーツァルトは6月17日出生、父と母がザルツブルク滞在中の8月19日に敢えなく亡くなっていること。
3.K423、424の2曲はザルツブルク里帰り中に旧友ミヒャエル・ハイドンが大司教に依頼を受けた6曲の作品のうち2曲が急病のため作れないという急場を救うために代作したものであること。
4.K425「リンツ」はザルツブルクでの3ヶ月に及ぶ里帰りを終え、ウィーンに戻る途中に立ち寄ったリンツのトゥーン・ホーエンシュタイン伯爵より演奏会用の交響曲の作曲を依頼され、わずか数日で書き上げた曲であること。
などなど関連した出来事はまだあるが、本稿の話としては以上の事実をおさえるだけで十分であろう。
要するに、1783年(27才のモーツァルトが)7月末にコンスタンツェを連れてウィーンからザルツブルクへの旅を決行し、ザルツブルクに約3ヶ月滞在し、ハ短調ミサを奉献した直後にリンツに赴き、そのリンツに12月初めまで約ひと月ゆっくりした後ウィーンに戻ったという一連の旅であるが、この長い旅でモーツァルトが意図したことは何であったろうか。
それは言うまでもなく、父レオポルドと姉ナンネルにコンスタンツェを紹介するというお披露目興業であったのです。
ただ端に紹介ということでなしに、敢えて聖ペーター教会に奉献するミサ曲のソプラノを唱わせるあたりがいかにも殊勝でモーツァルトらしいと思ってしまいます。
周知のように、モーツァルトの家族に対する敬慕の情はその多くの書簡をみる迄もなく極めて強いものがあり、すでに前年の8月にレオポルドの同意が得られぬままコンスタンツェと結婚したという負い目が耐え難い重圧となっていた。
思い起こせば2年前に大司教コロレドと大喧嘩し、もう二度と帰る気など起ころう筈のないザルツブルク。その後ウイーンで自立しプロのミュージシャンとして確かな手応えを感じはじめていたモーツァルトがどうしてわざわざ忌むべき故郷ザルツブルクに、しかも誕生間もないライムントを残して出向いたのだろうか。
私はここに父親に対する子供の反目をみる。最後の孝行という名の反目である。
父レオポルドは何といっても敬虔なクリスチャンであり、お堅い宮仕えの楽団マネジャーでしかなかった。いわば過去に生きるヒトであり、その点からいうとわが息子が大都市ウイーンで貴族のお抱えもなしに独立開業できることなど想像だにできなかったに違いないのである。
父と子の乖離は広く、溝は深い。
この乖離と溝を埋めるべくこのハ短調ミサが作られたという思いがよぎる所以である。
そして、正にこの乖離と溝ほどにミサ曲ハ短調は広大であり深淵そのものなのである。
冒頭のキリエの峻厳さに、クレードの「エト・イカルナートス・エスト」の今は亡き母アンナに捧げたかのような優しく包み込む至福の旋律に、この曲の並はずれた渾身の創意を感じてしまう。
息子ウォルフガングは父の心配をよそにウイーンにかえったあとは胸のつっかえがとれたように益々我々のために多くの名曲を書き続けることだろう。特にこの年の初めのダポンテとの奇跡的な出遇いが3年後の新しいオペラ創造(フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、コシ・ファン・トゥッテ)の予兆と感じていたモーツァルトはウイーンという都市の可能性に心底ワクワクしていたに違いない。
しかし父レオポルドは生涯息子に対する懸念を捨てきれなかった。これからは愛想を振り撒いた嫁コンスタンツェも何かと心配の種になることだろう・・・・。
ああ、レオポルドはどんな思いでザルツブルクを離れる二人を見送ったであろうか!
私は近ごろこの余韻にこだわるようになっている。
それは、完成されることのなかったハ短調ミサの余韻とも重なっているのです。
END 【 推薦版 】
・ ジョン・エリオット・ガーディナー指揮のフィリップス盤CDが一押しです。
・ カラヤン、フリッチャイ、マリナー それぞれ個性がありおもしろい。
・この6月初めて聴いたフィリップ・ヘレヴェッヘのCDは、ミサ曲がうたものであることをあらためて感じさせてくれた、忘れがたい一枚となるでしょう。
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