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モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)

「小林秀雄を撃った短調の弓」‥‥‥聴いて欲しいモーツァルト その4

 『・・…彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえるほどの驚くべき繊細さが確かにある。心が耳と化して聞き入らねば、ついてゆけぬようなニュアンスの細やかさがある。ひとたびこの内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者はもうモオツァルトを離れられぬ.』(小林秀雄「モオツァルト」)

高校生だった私がどういうきっかけだったか忘れたが小林秀雄、そして「モオツァルト」に出会ったことは今にして思えば青春のアクシデントとして決して軽軽しい体験ではなかった。

小林秀雄が批評家として一流でありえたということは彼が誰よりも自らに対する厳しい批評精神を持ちつづけたことと基を同じくしている。

小林はヒトを鋭利に切り裂いたが、自らをも同時に危めるという真摯にして正直な生き方を終生つらぬいた。

だから、彼の群を抜く説得力は自身の告白の上に克ちえるという質のものであったろう。

また、彼特有な文章の難解さは、表面(おもてづら)の皮相な解釈を断じて容赦しない頑固さの証しでもあったろう。

そんな小林秀雄が4年の歳月をかけて書き刻んだ「モオツァルト」は衆知の如く戦後のモーツァルトブームの火付け役ともなったのだが、ここで小林はモーツァルトの創る音楽の世界から「自由」・「自然」を嗅ぎ取りつつ、通奏底音としての「哀しさ」を引き出していることは単なる偶然なことではないのである。

この戦後日本におけるモーツァルト論の金字塔「モオツァルト」(ついでに言うならば、

「モォツァルト広場」名称の由来はここにある)に小林が着手したのは戦時下の昭和17年5月に初めて耳にしたニ長調の弦楽五重奏曲(K593)に端を発しており、戦後の昭和21年5月には母堂を喪っている、という背景を考えると自然に納得がいくのである。〔副題として、「母上の霊に捧ぐ」とある〕

このような訳で、この「モオツァルト」が出版をみた昭和21年12月という歴史的タイミングを私たちは無視できないし、忘れてはならないと思うのだ。

振り返るべきは大戦と敗戦の二文字、そして戦後復興の道程であろう。

さて、私は戦後多くの引揚者が産み落とした団塊の世代に属し、生きること逞しき父母の言い伝えで戦争体験をさせられた世代でもある。

辛いことの多かった筈の満州開拓時代を自慢げに、熱く語る父は50歳に満たない生涯を骨太に生きた。それは正に壮絶ともいえる生き様であったが、父の一生はあの大戦に翻弄された一生といっても言い過ぎではないだろう。

私は若くして逝った父を思うと、道なかばで残された母の悲しみの途轍もない深さを重ね

て想い、チチハルから秋田までの42日間に及ぶ痛ましい引揚げ話を思い起こし、あらためて戦争を憎むひとりである。

小林秀雄は日本の戦勝を信じていた知識人として、戦時中に「モオツァルト」の筆をすすめ、人一倍日本の敗戦の苦汁を舐めながら戦後復興の息吹が芽生えたころにようやく脱稿を果たしたのだった。

ところで、この「モオツァルト」で小林が何らかの関わりをもって論じられた人物は冒頭のエッカーマンからエピローグのジュースマイヤーまでで30余名の登場をみるが、肝心のモーツァルトの作品はわずか13曲しか取り上げられていない。

多いか少ないかはともかく、この13曲に面白い特徴が見出される。

それは、取り上げられた13曲の中に、モーツァルトを語る上で不可欠と思われるピアノ曲について、小林の筆は寄り道すらしていないということである。

また、私が普段に愛聴している器楽曲〔例えば、「グランパルティータ」、K375セレナード、等々〕についても残念ながら触れられてはいないのである。

このことはオペラ作品への言及の乏しさと同様に、当時の演奏環境などの影響が考えられるが、私にはどうしても小林の独善のように思えてならない。

小林秀雄は生前「わたしはヴァイオリンがとても好きだ」と語っていたそうだが、もしか

してピアノという近代楽器に親しめないものを感じていたのかもしれない。

もっぱら小林が中心的にとりあげて論じている作品は、四重奏・五重奏の弦楽曲と後期3大交響曲くらいで、とりわけ弦楽五重奏曲にはかなりのこだわりを呈示している。

こんなふうに、ピアノ曲や管楽曲の作曲家モーツァルトの居ない「モオツァルト」ではあるが、それでも比類ない精神の高みへ私たちを誘い込み、世界のモーツァルトをその冷徹な絵筆で見事に描き切ったということは驚嘆に値する事件に違いない。

では、この辺で小林秀雄が心底魂を揺さぶられ、モーツァルトの放つ短調の弓に完膚亡きまでに撃たれたト短調のクインテット(K516)を、小林一流の美意識が凝縮された名文とともに一緒に聴くことにしましょう

『モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。』(小林秀雄「モオツァルト」)

               2002年春には小林秀雄生誕100年祭がやってくる。

〇 筆者はK614最晩年の弦楽五重奏(変ホ長調)が一番好き。この曲は、小生の三途の川行進曲の一曲で、正に超越の響きそのものです。

    【推薦盤】

   ● アルバン・ベルク四重奏団 他  《EMITOCE−7067》

      圧倒的な名演奏で、カップリングのK515(ハ長調)も出色である。

   ● アルテュール・グリューミオー 他  

  《PHILIPS PHCP−3881〜3》

      弦楽五重奏曲の全曲盤として貴重な録音です。演奏も素晴らしい