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モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)

「好漢 関清和に贈る言葉」‥‥‥聴いて欲しいモーツァルト その3

わがモォツァルト広場の熱心な会員(K545)関清和氏が急逝し、早や半年を経過しようとしている。かけがえのない友を失った空洞感は今も消えない。きっとその死の直前までビジネスや子どもの話などしていたからか。以下の駄文はその訃報を受けて1週間後に書いたものである。今、読み直してみると関氏に贈るとは云うものの、その実自分のため、自分が関氏の不在を受け入れるために身構えて書いたもののようだ。

願わくばこの駄文が、一人でも多くの・ソナチネ・ファンをうんでくれることを!


無情なる天はどうしてこんなにも急いで貴兄を招き寄せたんだろう!
病床に伏した貴兄を励ますべく21世紀の幕開けの元旦に俺は彌高神社に詣で、お守りをかかえて貴兄と会い、握手して別れた。まさかこれが永い別れとなるとは、あまりに無惨で唯ただ呆然。この例えようのない虚無感はついひと月前まで笑顔で語り合った充実した貴兄との時間を鈍重に切り裂く重い鉛の如きものであった。
とっても好い奴だった。ヒトが何となく貴兄のそばに寄って来る一流の温かさがあった。常に配慮があり、しかも自然であった。だから、貴兄が来ると安堵があった。いつからか、貴兄が来なくなると俺は叱るようになっていた。「とにかく顔を見せろ!」と。
貴兄との付き合いはかれこれ20年にならんとするが、一度として貴兄を励まさないことはなかったように思う。貴兄は俺に励まされる後輩役を演じ続け、俺はお説教をたれることで二人の距離感を固定し、そうすることでいつも仲の良い関係を築いて来たのかもしれない。そのような仲良し関係の維持は貴兄の逞しい・配慮の精神・があったればこそ、と今のいまでも感謝しているものだ。
麻雀の下手くそな貴兄はめずらしく大勝ちした時ですら、本当に申し訳なさそうであった。恐らく貴兄には世の中の背伸びする連中はさぞかし滑稽に見えたことだろう。少しは勝ち誇ってもらいたかったが、負けても持ち前の爽やかさでその場の空気の調整役を演じていた。

貴兄には下手なコトバの飾りつけは不要であり、無価値であった。必要最小限で装飾音のいらないモーツァルトの、しかも簡素で平明なピアノソナタ15番ハ長調(K545)をモォツァルト広場会員番号に選んだのは、この曲こそ貴兄(の生き方)にピッタリ、と俺が決め込んだからに他ならない。僭越ながら、貴兄はモーツァルトとは無縁な人であったが兎に角貴兄を励ます俺に従いてくる覚悟で会員になったと云って良い。悔やむべくは貴兄と二人でこの曲を聴けなかったことだが、貴兄よ、どうか天国でこの純粋で喜悦あふれる
・ソナチネ・をたっぷりと聴いてくれ。天国は今までのような配慮は入らない筈だから。
関清和よ、もうしばらくしたら、俺もそっち(天国かなあ?)に出向く予定だ。そのときこそ周りの眼を気にせず、二人のワルター(ギーゼキングとクリーン)の奏でる15番を並んで聴こう、ごっつい肩を組んでだ。向かい合ったらきっと照れくさくて二人とも吹き出すに決まっている。それまではこの世で長い貴兄の不在を何とか凌いでみせるつもりです。でも、今まで俺が振りかざしたあの励ましを今度は天国の貴兄が俺にする番だ。ピアノソナタ15番のフィナーレにのせて。
この曲に涙は似合わない。むしろ子供っぽく振舞い、明日を夢みる微笑みがお似合いだと
推う。
だから関清和よ、俺はもう泣かない。貴兄の励ましを受けて、笑みを浮かべて明日に向かって歩むことにしようと決心したのです。貴兄の分も全うに。
では、また会う日まで(アウフビーダーゼン!!)

 【 推薦盤 】

◎ ワルター・クリーン(VOXBOX CDX5046)
比類ない名演奏としてぜひ聴いて欲しい

◎ワルター・ギーゼキング(EMI TOCE・6734〜41)
この盤は8枚組み63曲のピアノ曲が入ってます。バラでもあります。