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モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)

あ る 弔 辞

聴いて欲しいモーツァルト・・・その15

『謹んで、あなたの御霊に申しあげます。
あなたは昨年の12月5日、モーツァルトの命日に開かれた「モォツァルト広場」の例会・アニバーサリーコンサートについにご出席できませんでした。
 その例会に先立って私はあなたに、「今度ばかりは是が非でもお会いしたいのでお待ち申し上げます」としたためた手紙をお送りしました。
 いつものように、ご一緒にあなたの会員曲「春への憧れ」(K596)を歌いたくて。
11月になってあなたが体調をくずされたとのお話を耳にしていたこともあり、何としてもお元気なお姿を拝見したいと念じておりました。
 ◇                    ◇
 あなたが欠席を余儀なくされたあの日に私が会員の皆さんに語ったこと、さらにはあなたが忽然と逝ってしまわれたことにまつわる私の想いを申し述べたいと存じます。
 いま私はあなたから4年ほど前に頂戴した《三省堂用字用語辞典》をかたわらに、たどたどしい筆をはこんでいるところです。
 憶えていらっしゃいますか、私はあなたから《三省堂用字用語辞典》を2冊もいただいていることを。
 一冊は第四版で、はじめて私があなたに文章指南をお受けした際に、お持ちくださったものでした。
 にこやかに、「こんな難しい漢字はいま使っておりませんよ」とたしなめられた時、あなたのご指摘に感謝の念とともにかいた冷や汗を私は忘れることができません。
この第四版、これにはれっきとしたあなたの使い込んだ手垢がついており、今となってはあなたの形見となっているものです。
 あとの一冊はあなたらしい行為なのですが、「以前差し上げた辞典は私が使っていたものだから」とおっしゃって、新しく出版された新品の第五版です。
これを差し出すときのあなたの青年のように照れた表情が脳裡に焼きついております。
あなたはそんな風に、出来の悪い弟子にも細やかな心配りのある師匠でした。
  ◇                    ◇
 昨年の例会では往年の名プリマドンナ、シュワルツコップが数ヶ月前に世を去ったこと。
 そのことから、思い出にリートの代表として「すみれ」K476を皆さんと一緒にCDで鑑賞し、懐かしんでもらいました。
 「春への憧れ」「すみれ」「夕べの想い」「クロエに」など多くのモーツァルトの名歌をギーゼキングとともに後世に伝えるべく録音してから半世紀がたったというのに、私はシュワルツコップから離れることができずにきておりました。
そんな歴史的なプリマが奇しくもモーツァルト生誕250年祭のその年に、あなたと同じように、次の春を待つことなくミューズの化身となって遠くに旅立ちました。
 まず私はこの「すみれ」に関するひとつの偶然性についてお話しました。
 いつまでもお祝いムードの明るいモーツァルト像に傾斜するのはどうか、という想いもありましたから。
 どういう話かと申しますと、新聞で読んだハンセン病に関する記事から触発されて、再度「いのちの初夜」で有名な北条民雄の小説を読んだのですが、その一連の探検のなかに偶然北条民雄の「すみれ」という題名の美しい小編がみつかったこと。
 その「すみれ」のストーリーが極めてモーツァルトのリート「すみれ」、すなわちゲーテ
の詩の世界と趣きが共通していたことを発見し驚かされたこと(因みにこの小編「すみれ」をあなたのご親友であられるSさんに差し上げております)。
 さらに驚くべき偶然は、なんと、W・A・モーツァルトと北条民雄はともに命日が12月5日その日であった、ということなのでした。
 二人の共通性はこのほかにも、異例の早熟性・病気・早世・激しやすい性格などいくつかあるのですが、作曲家と作家の違いを超えて後世のわれわれに「生きること」のなんであるかを問いかけている点も落とすことのできない共通点なのではないか、というような話を致しました。
 さらに、サプライズなモーツァルトの一曲ということで、私がはじめて久元祐子女史にお会いした際に、ずうずうしくもおねだりして贈っていただいた「2台のピアノのためのフーガ ハ短調」K426(B.イーデン、A.タミール)を本邦初公開(?)ということで皆さんに聴いていただきました。
 わずか4分ほどの小品ながら、あの重々しくも連綿と響き渡るフーガのもつ魅力に多くの方々が気づかれたと思いますし、「これがモーツァルト?」という新たな発見につながった方もいらっしゃったようでした。
 その後、例年のように多士済々の会員諸兄が一流のモーツァルトを想い想いの発想と技法で演奏してくださり、とってもヴァリエーション豊かなアニバーサリーコンサートとなりました。
 ゲストとしてお招きしたギタリストの柴田周子女史には、小生のわがままで正に本邦初
ともいえるボブロヴィッツ(19世紀のポーランドのギタリスト))が作曲した「ドン・ジョバンニの変奏曲」をお披露目いただきました。
 高度なテクニックが要求される名曲ですが、柴田さんの超絶技巧にみんなが一心に聴き入り、モーツァルトが届けてくれた至福のときを堪能したものです。
  ◇                    ◇
 ところで、例会の数日後に、あなたに知ってほしかったモーツァルトにまつわるニュースがありました。

 それはあなたが私に熱っぽく語られた「わたしは日本陸軍最後の二等兵」のお話と,根っこのところでつながったニュースです。
例会数日後に発売された「リリー・モーツァルトを弾いてください」(多胡吉郎著・河出書房新社刊)という本を読んだのですが、それが大変衝撃的な話でありました。
以下、ストーリーを要約します。
世界的なピアニストでありモーツァルト弾きとしても著名なリリー・クラウス(当時37歳)が戦雲立ち込める1940年、インドネシア(ジャワ島)に家族四人でワールドツアーの途次に滞在しました。 
その滞在中にジャワが日本軍の統治下におかれることになり、あろうことかイギリス国籍だったリリー・クラウスが敵国のスパイ容疑で収容所に抑留されることになるのです。
そして、1943年9月新任のジャカルタ地区抑留所長、近藤利朗とリリーが劇的な出会いを果たすことになるのです。
なにが劇的かというと、近藤利朗は以前からリリー・クラウスの大ファンであり、1936年(昭和11年)初めて日本でリリーがコンサートを開いたときに、妻と二人で聴きに行き大変感激した体験をもった人物であったことから、自分の管理下の抑留所にリリーがいることに大変衝撃を受け、何くれと支援の手を差し出すことになるのです。
リリー・クラウスは近藤所長に抑留所で「ピアノを弾かせて欲しい」という無理なお願いをし、近藤所長はそれを許可、練習環境を整えることで稀代の芸術家に報いるのでした。
さらにリリーのクリスマスコンサートなどの企画を実現させ、抑留所生活に潤いを与えたりもしたのです。
戦後復興が落ち着き始めた1963年に、実に27年ぶりにリリー・クラウスの日本公演が実現します。
ジャワでの抑留所暮らしの間、リリーに救いの手を差し伸べた多くの日本人が再会を果たし、感激に浸りながらリリーのモーツァルトを聴きました。
しかし、その時リリーが心底再会を夢みた近藤利朗は現れませんでした。
そうして、ようやくリリー・クラウス3度目の来日となった1967年(昭和42年)6月に近藤利朗との実に23年ぶりの再会が実現したのでした。
この再会は、翌日毎日新聞のスクープとして二人の笑顔とともに載せられ、広く紹介されたのですが、私はこの当時のスクープ記事を図書館の友人から取り寄せてもらい、ドキドキしながら凝視したものです。
そして、実はこの近藤利朗という人物が他ならぬ我が郷土秋田県の出身者だったということから、余計に興味が湧いたためのドキドキ感でもありました。
リリー・クラウスに花束を手渡した瞬間のはにかんだ表情は私だけでなく、きっとあなたがご覧になっても、秋田県人(いわゆる秋田面です)を直感させるものであったに違いありません。

 この深い陰影のこもった歴史的な写真をあなたに是非ともご覧頂きたかった。
そして、あなたの見解をお聞きしたかったし、もっとその先の「日本陸軍最後の二等兵」の物語を拝聴したかった、と痛切に思いました。
◇                    ◇
持ち時間が少なくなりました。
長々と申し述べてまいりましたが、いま、私のなかであなたは文字通り先生として君臨しております。
振り返って、あなたが「モォツァルト広場」に入られたきっかけは、あなたのご親友でニ長調のホルン協奏曲(いわゆる「さよなら音楽」)で永久会員になられているMさんのご紹介によるものでした。
会員登録曲のリート「春への憧れ」もMさんの熱い推薦とうかがっておりました。
考えてみますと、Mさんのニ長調のホルン協奏曲は例会やコンサートの散会後にみなさんをお送りする曲として流し、あなたの「春への憧れ」は会のエンディングテーマ曲として全員で合唱する慣わしとなっております。
したがって、例会のたびにお二人が高いところから参加してくださっていることを想うと、なにか不思議な嬉しい気分になってしまいます。
だから、これからは今まで以上に元気な声で「春への憧れ」を歌おうと思っています。
お二人にモーツァルトと私の声が届くように。
私があなたから教わったこと、それは、人としての道を示すことの難しさ、ということに尽きると思っております。
あなたはその困難な道を寡黙に、したたかに示されました。
あなたのことばが、まなざしが、しぐさが、そしていつしか私に気づかせた、人を受け容れる力の崇高さが、私の先生のあかしでした。
モーツァルトのように自然でした。
モーツァルトのように偉そうでなく、人に心を配りました。
モーツァルトが選んだ宿命への従順さと自然体のあなたはどこかで繋がっておりました。
あなたの葬送の日、奥様から、私があなたに書き綴った「モーツァルトの先生を追いかけて」をあなたが病床でお読みくださったことをうかがいました。
あなたは私にとって最後まで善き人でした。
ありがたくて涙がこみあげました。
その感動を胸に秘め、あなたの訓えをたずさえて生きようと決めました。
もちろん、あなたの形見の《三省堂用字用語辞典》をかたわらに。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


【推薦曲と推薦盤】 
○今回の《推薦曲と推薦盤》は特にピックアップしません。エリーザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)とリリー・クラウス(ピアノ)のCDを聴いてみてください。